杉林が書く。おはようございます。私がしている、努力について書きます。
皆さん、おはようございます。
今朝も東京は晴れておりますね。早朝は気温が低めでしたが、お昼ごろにはかなり上がる予想になっておりますね。
さて、私は、今朝も納豆や、卵、フルグラを頂きまして、ご満悦です。
健康に良い物を体に入れて、健康に悪いものは、体に入れない努力も必要ですね。
努力という言葉は、日本人にとって、上司が部下に、または、先生が生徒に、
上から目線で、「お前は、努力が足りないから、成績が悪いんだ。もっと努力しなさい。」と
いう具合に、言われてしまいます状況になっていますね。
要するに、上の人たちは、下々の人たちに尻をを引っ叩いて、もっと努力しろ、努力しろと、言うわけです。
これをやりだしたら、確かにある程度までは、成果が出るでしょう。
しかし、限界になっているにもかかわらず、これをやると、下々の方々が、障害者になるほどになってしまうと思います。
今の日本は、努力しても、報われない社会でありますねと言う人も多いと言われております。
確かに、戦後の復興の際には、この、「努力」がもてはやされて、どんどん日本も成長しました。
しかし、物が溢れ、サービスも充実し、これ以上一体何をしろというのだ? というほどまでに成長した社会では、この、「努力すれば報われる」という言葉は、いささか怪しくなってきますね。
私の場合には、努力することとして、毎日、天茶供養と土地供養、般若心経を上げるなどのことを、努力しております。
皆さんがやる、いかにお金儲けをするかという努力ではないのですね。
さて、みなさんはどうしますかね。
お元気でお過ごしください。